2:べいろす・くらるべるん[・_ゝ・] : 2011/03/18 (Fri) 23:01:14
「涙の夢と申します」
「なんなりとお申し付け下さい。女公閣下」
ジャスリーさまより召喚された私は、召喚された理由をすぐに察した。
哀しみと絶望を背負った少女が目の前にいる。
ヴォールグリュックの次王。アードルング女公。
私を従者として紹介するジャスリーさま。目をまるくして驚く彼女。
澄ました顔で挨拶をする私。微笑むアリーセとヴェイン。
夢魔を従えている人間は、この世界で二人しかいない。
レッチェルドルフのアリーセ、サーペイディアのドロレス。
王者たる資質を持つものたち。
そして深い哀しみと絶望を持つものたち。
わかっております。貴方が餓えているのは母親の愛。
求めているものは心ない言葉からの庇護者。
恐れているものは自分の血の宿業。
もはや貴方は一人ではありません。
二人で過ごすヴォールグリュックの生活は、きっと楽しいでしょう。
忘れていた微笑みを取り戻すでしょう。
私も楽しみにしております。
私の見せる夢と絶望的な現実の狭間で、貴方が壊れていくのを見るのを。
68:くらるべるーん : 2011/05/22 (Sun) 15:39:07
ヴォールグリュック戴君共同体、エアシュテーウング王宮。
今夜は月に一度の、諸侯を集めての社交会。
ジークリット・アードルング女王は乗り気ではなかったが、古来からの諸侯同士の親睦を深める重要な慣習であり、開かないわけにも、欠席するわけにも行かなかった。
「ご気分が優れませんね」
「毒蛇の巣に飛び込むのよ。顔を見るのも嫌な奴が一杯だわ」
夢魔ティアフルドリームは主君にして盟約者たる女王の心労を思いはかる。帝国の宮廷では王位継承とは無縁の夢魔姫が君臨し、いわゆる権力闘争は皆無に等しかった。それに比べればなるほど、ここは毒蛇の巣といって差し支えないだろう。
「そろそろお時間です。参りましょう。笑顔を忘れないで」
「笑顔か、それは難しい注文ね」
ジークリット女王は青のドレスを、ティアフルは白のドレスを身に纏って会場に赴く。二人とも戴君共同体屈指の美しさを誇る姫君たち。
片方が相手の手を握り、もう片方はそれに手を添えて握り返した。
広いホールには既に多くの諸侯達がそこかしこで輪を作っていた。
諸侯。古くからの数々の特権に護られた土地所有者たちである。
この近代化と民主化の時代の流れにあって、自由と平等を求める人々の上に君臨し、その特権と財産を世襲することを当然として恥じることもない者たち。
「アードルングの生娘も少しは解っているようだな」
「ですな。この"五月の宮廷"を催さないと言いだし、無様に撤回する様は見物でした」
「はは。もう少しお飾りであることを自覚して貰いたいですな」
それは西方三公と呼ばれる有力諸侯たちだった。
宴の主、ジークリット女王が未だ姿を見せぬのを良いことに、諸侯らの口は好き放題を始める。
「あの夢魔ともどういう関係なのやら。なにか倒錯的なものを感じますな」
「はは、ブレメルリッツの血は争えんということですかな?」
「父上、少しお声が。不敬と誹られましょう」
ジンゲンフォルデ公は息子の声にも耳を貸さない。
安心しているのだ。例えこの陰口が女王自身の耳に届いたとしても、今の女王には処罰する政治力はないと。
名も知らぬ小諸侯の姫が挨拶にやってくる。ジンゲンフォルデ公は下卑た笑みを浮かべつつ、自らに媚びその庇護を得ようと懸命になる姫を愛でながら、アードルングをこの娘のようにひれ伏せようと決意を新たにした。
「ジークリット・アードルング女王陛下、ご到着!」
「フィズリリーナ・ティアフルドリーム様、ご到着!」
呼び出し係の声と、ラッパの音が鳴り響く。
女王は自らの陰口が渦巻いていたことを知ってか知らずか、居並ぶ諸侯達に向けて優雅な一礼をしてみせた。
「皆様、楽しんでおられますでしょうか」
女王の一分の隙も見えない完璧な振る舞いに、浮かべた感情の伴わない笑顔に、鈍い諸侯たちではなくティアフルが息を呑んだ。
ここは地獄。宮廷という戦場なのだ。
69:くらるべるーん : 2011/05/22 (Sun) 20:12:26
宴は優雅に。饗される晩餐も、空調も内装も照明も音楽も。
女王に恥をかかせないために近衛府が配慮を重ねた芸術品のような宴。
ただそこに招かれた人々だけが唯一の汚点だった。
ティアフルドリームは夢魔の例に漏れない儚き美女であったから、その賛美者には事欠かなかった。流暢なグリュック語、美しい声と言葉遣い、笑顔、仕草、物腰……。年若い諸侯の子女の中には、夢魔に崇拝の念を抱くものも存在した。
数人の少女に囲まれ、帝国や夢魔について話に花を咲かせていたティアフルは、気がつけばアードルングの姿が見えないことに気がつく。
「どうされました? ティアフルドリーム様」
不思議そうに尋ねる少女達。
「いえ…、ちょっと。ごめんなさい。失礼致しますね」
一礼して輪から抜け出す。名残惜しい声を背に掛けられつつ、ティアフルはこの宴の主を捜しに歩き出した。
大きなホールに、二百人を越える参加者と従者。
嫌な予感がした。もちろんアードルング女王のことだから、大抵の事は自分で解決できるだろうけれど。
「何かお困りでしょうか? 夢魔様」
ホールから女王を見つけられず、バルコニーから中庭を眺めていたティアフルに声が掛けられた。
振り向けば、見知らぬ青年が佇んでいた。襟元の小麦の紋章が西方のジンゲンフォルデ家の諸侯であることを示している。
ティアフルは主君とかの家の対立については承知していたが、目の前の彼から何ら悪意を感じることが無かったので、努めて明るく応対した。
「女王陛下のお姿が見えないので、お探ししていたところです」
「女王陛下はお帰りになりました」
「……え?」
「急用が出来たとのことです。私の父との談話の直後でしたので、もしかしたらご気分を害されたのかもしれません」
「そうですか。それは残念です」
「夢魔様もお帰りになられるのですか?」
「はい」
「では、ほんの僅か、お時間を頂けますか」
「なんでございましょう」
「これをお納めください」
彼が差し出したのは一輪の赤い薔薇。
「これは、魔王国の枯れない薔薇でございますね? こんな高価なものを……」
丁寧にとげの取り払われた、薔薇の香りを楽しみつつ答える。
「お受け取り頂けますか」
「花を贈られて嬉しくない夢魔はおりません。大切にさせて頂きます」
「ヴォルフガング・エルツ・ジンゲンフォルデと申します。以後お見知りおきを」
「フィズリリーナ・ティアフルドリームが、貴方のお名前を確かに記憶致しました」
ティアフルは右手で薔薇を持ち、左手を彼に差し伸べる。
ジンゲンフォルデの公太子は夢魔の前で跪くと手を取り、そっと口づけた。
そしてすぐさま夢魔から離れる。
「近衛府に帰りの車を手配させます。今夜はお疲れ様でした」
その光景の一部始終を見ていた複数の宮廷雀が、あらぬ噂をアードルング女王に吹き込んだのはそれから数日後の事である。
71:くらるべるーん : 2011/05/29 (Sun) 17:06:04
夢魔にとって、盟約者に夜伽を命じられることは栄誉なことだ。
寝顔をさらすことは最も無防備な状態を夢魔に委ねるということで、魔界の悪魔と自称する種族であるにも関わらず、それだけの信頼を勝ち得たということになる。
アードルング女王に寝室に来るよう命じられたティアフルドリームは、クローゼットの中身を検分し、しばし迷った挙げ句いつもの白い清楚なネグリジェを着込んで参上した。
「一体何を話していたのかしら」
ティアフルを待っていたのは甘く幸せなひとときではなかった。
手錠で拘束されて、女王にのし掛かられ組み伏せられて、氷の瞳と言葉で華奢な身体を射貫かれる。
「特に何も…。彼が、お近づきになりたいと、花を贈りたいと」
肩を押さえつけられ、女王の体重を受け止めながら首を捻り、か弱い声で答える。
「彼が誰だか知っているでしょう」
「はい。でも悪意はありませんでした」
「悪意が無ければ主の政敵にも媚びるの? 貴方は淫魔でしたっけ」
女王が強引に口づける。苦しげに喘ぎつつも、抵抗なく唇を許すティアフル。
「確かに可愛いものね。今夜から淫魔に転職しなさいな」
「……どうかお許しください」
「駄目よ。許さないわ」
女王の手が夢魔の首を締め、胸を押しつぶす。すぐさま窒息の苦しみに悶える夢魔。
「……ジー……ットさ…ま……どうか、……」
「……いいわ」
女王が手を離す。
「可愛いから許してあげる。でも今後、私以外の誰にも媚びることは許さない」
「……はい」
「ジンゲンフォルデの人間とは口を利くことも許さない。あの薔薇は捨てなさい」
「……。はい。ジークリット様」
「どうしたの。私の顔に何かついている?」
「いいえ。私は涙の夢なのに、涙が止まらないのはジークリット様の方」
「……」
「泣かないで、ジークリット様。もう二度と貴方に寂しい思いをさせたりは致しません。貴方が望むなら私は何にでもなれます。なんでもいたしましょう。従者でも、恋人でも、母親にでも。閨の中では淫魔にもなりましょう」
ジークリット・アードルング女王がその宮廷地獄から既存の諸侯勢力を退け、中央集権への改革を成功させるのは、この夜から僅か一年のことであった。