クラルヴェルン帝国の皇帝ジャスリー・エルツ・クラルヴェルンは、とりたてて暴君でも暗君でもなかったが、別に全知でも全能でもなく、祈祷によって雨乞いをするであるとか、疫病を防ぐ力があるわけでもなかった。
そのため、彼女の長い治世の間には王権が揺らぐ時期も存在した。
干魃と冷害が三年続き、農村が壊滅した帝国歴790年、帝国の農民は広範な範囲で叛乱を起こした。理由は一つ。食わせろ。である。
その結果、ジャスリー皇帝の労苦は目に見えて増加していた。
日々に勢いを増していく民衆軍への対処。
彼らによって攻撃され、荒廃した国土の領主の選任。
叛乱鎮圧の為の帝国軍の編成と運用。
ヴォールグリュックへの食料調達折衝。
隣国エラキスの干渉。
友好国オルアニア帝国での革命と王族処刑。
ついには諸侯の忠誠拒否が相次いだ。
だがーー
「ごめんね、どいてっ!」
夢魔ピースフルドリームが夢遊宮を走る。
角で出会ったメイドに謝りつつ、息急き立てて主君の下へ。
庭園で家臣に囲まれ、残り少ない紅茶を傾けていた皇帝は、平安の夢の姿を認めると立ち上がり、家臣を迎えた。
「あわてなくて良いわ、エレオノーラ。凶報でしょう?」
「いいえ!」
平安の夢がスクロールを高らかに広げ読み上げる。
「ご報告申し上げます! レッチェルドルフ将軍の帝国第二軍はついにミゼラブルを奪回、叛乱首謀者の首級をあげたとのこと。これで叛乱軍は全滅となり、ついに帝国都市は全てが開放されました!」
ざわめく宮廷。読み上げられた報告は、帝国の支配権の再確立を意味していた。
「おめでとうございます」
「おめでとうございます、陛下」
溢れんばかりの拍手と歓声。安堵する夢魔たち。
「ありがとう。メッサーナに残り、私を支えてくださった皆さんに心より感謝します」
家臣たちに手を振り、労を労うと、皇帝は紅茶を共にしていた少女を見やった。
「アンゼロットも。ありがとう。貴方が居てくれなければ私は諦めていました」
「いえ、私は病気に強いジャガイモを持ってきただけです」
「ふふ、ではそういうことにしておいてあげます。貴方からの好意と愛情を感じ取れたのはきっと気のせい」